のんびりごった煮っ記

のんびり雑多にやってま~す

私の考える自立

自立とは何か。
何なのでしょうね、最近よくわからなくなります。

言葉選びに苦慮していることもあり、生い立ちの方のブログ更新ができていませんが小学生のころから大学生まで、都度都度

「お母さんが(親が)いなくなったらどうするの?」

といわれてきました。
当時は明確な答えを出すことも、相手に対し返答もできずうつむいていました。

だって将来のことなんて全くわからないから。
どうするかなんてわからなかったから。

私自身の希望と親の協力もあり、小学校、中学校と公立の学校に通いました。
「介助員をつけられないため、親が常に待機していること」の条件で。
高校は特別支援学校に行ったため、先生方の介助を含め様々な協力を受けながら初めて自分1人での学校生活を送ります。
大学は自分の興味がある分野が地元の大学にあったため進学。
大学ではヘルパー支援は制度を使えないということで、必要に応じ自費で利用することもありましたが、基本的には講義以外の時間は母が付き添い介助をしてくれました。
(この頃は精神的に不安定なこともあり、本当に迷惑をかけたなと思っています。)

「障害を持つ者としての自立の正解」は、やはり親の助けを借りずに友達や先生の助けを受け生活する、ことなのでしょうか?

私は引っ込み思案ということもあり、友達に気軽に声をかけて輪に入るということは難しかったです。一緒にお昼ご飯を食べたり話したりする友達はいましたが、じゃあトイレ介助含めすべてをお願いできるか、そんなことはできませんでした。

今では曜日限定ではありますがヘルパー支援を利用して日中はテレワークをしています。
しかしながらここでも「仕事中はヘルパー利用ができない」ことから、日中は母の手助けを受け日々生活しています。

これも自立にはならないのでしょうか。
自立って何なのでしょうか。

親元から離れ、就職することなのでしょうか。

それも自立だと思います。
障害の有無を問わず、学校で嫌なことがあったら親に言う人だっているし、場合によっては親と学校側で話し合いをすることもあるでしょう。
進路に迷ったら親に相談するだろうし先生や友達にも相談する、そして最終的に自分が、自分の意志で決める。

そして、自分の意思を、自分の選んだ道を誰かのせいにしない。

私的にはそれが自立だと思うのです。
私は今まで親に頼りきりでしたし、今も親に頼っています。
でも「親がいなくなったらどうするの?」に対して、今ならはっきり答えを出せる。

今関わっている人たちに相談し、自分で考えた上で決断し、後悔しない。

これまでも福祉制度に頻繁にお世話になっていますがまだまだ知らないことの方が多いです。だからこそ計画相談担当の方だったり身近な人に相談する。
あ、もちろん人任せにして自分で知る努力をしないこととは違いますよ。
全てを抱え込むのではなく選択肢、様々な可能性を探るという意味。
私的には、ですが逆に一人で抱え込み、あとで後悔する方が怖い。

ある意味これは能天気なのかもしれないですが、将来起こりうること全てに対し事前に、具体的な答えを出すことは不可能だと思うのです。
でも考えることはできる、だから今すぐには無理でもその時にもまたさらに考えを深めて、最終的に「自分の」答えを出す。

それでいいんじゃないかなって思います。
そして、また壁にぶつかった時には悩み苦しみ考え、相談し解決していく。
その繰り返しなのだと思います。

と思ったことを勢いに任せ淡々と書き連ねてしまいましたが、生い立ちについては内容を考えた上で書いていきたいと思っています。